2009年(H21年)

福島県南会津ツーリングレポート (二日目)

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2日目
5日(晴天)  dscn1615.JPG

早朝習慣で目が覚め露天風呂に入った。前日よりお湯は熱めに感じたのはやはり朝夕は山の中なのでお盆のこの時期でも気温がやや低く涼しく感じるのかと思った。

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皆で朝食を済ませて今日は大内宿へ向かい宿を出発した。昨日も会津田島を過ぎるころから大内宿まであと何KMという手作りの立て看板がところどころに立っていた。随分熱心な案内だなと思っていたが県道329号線(大内宿こぶしライン)に左折して峠道になって何KMごとに簡易トイレの存在を示す看板を見た時に現在は順調に流れているが観光シーズンや休日は渋滞するのでマイカーでの観光客に対してのものなのかと理解できた。

朝の9時代ということもあり、至って順調に進んでいくと警備員が誘導する大駐車場が見えてきた。

警備員にバイクはと尋ねると少し先の幅広の歩道に停めて良いとのことで既に先客が何台も停めていた。車は町営の有料の駐車場に駐車しなければならないがバイクは敷地外であるためフリーである。少し戻って大内宿の入口から全長450Mの中央の往還に沿って道の両側に妻を向けた奇棟造り、茅葺の民家が等間隔に建ち並び長野県の妻籠宿、奈良井宿に次いで重要伝統的建造物保存地区に選定されたのは1981年である。

一般的に人気がでてきたのも道路などのインフラが整備された近年のことである。今では東武日光線から野岩鉄道、会津鉄道、JR磐越西線と連携してアクセスも良くなり関東からの観光客も増えている福島県でも有数の観光地になった。

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45軒前後ある民家のうちほとんどが往還側の座敷で民芸品の土産物を販売しているか郷土料理店を経営しており、民宿を営んでいる民家も7軒ある。一番突き当りの奥の高台にお堂がありその上から見下ろす大内宿はよくパンフレットやTVでも紹介されている風景らしい。

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筆者は遠慮したがオーナーと吉岡氏は上まで行ってその風景を確認してきたそうだ。

筆者達はその間に一本¥100.のラムネが脇に流れる小川で冷やされて売っていたので飲んでみた。自販機のジュースより安いのは驚いた。しかし同じものが入口近くの店では¥120、で売っており、これにもまたびっくりした。

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時刻はまだ11時前で朝食をつい食べ過ぎてしまったので空腹感はないが今後の予定を考えるとここで待望の一本ねぎそばを食べることになった。事前に入口近くの三澤屋がお勧めと聞いていたが人気店らしく、30分以上の待ち時間が必要とのことで残念ながら諦めてねぎそば元祖店と標榜している大和屋で待たずに食べられるということで頂くことにした。

奥に食堂はあるがブーツを脱がずに良いということで往還に面した軒下のテーブルに座った。一本ねぎそばは別名高遠そばとも呼ぶらしい、昨日塩原で食べた高遠そばとは大根の辛みを薬味にして食べるもので大根から名前がついているものと思っていたが実際は江戸時代に2代将軍徳川秀忠の非嫡子である高遠藩主であった保科正之(嫡子は3代将軍家光)が会津藩の初代藩主として信州高遠から会津に転封された際に大変なそば好きで高遠のそば職人も会津に引き連れて蕎麦切りを普及させたことからその名がついたとされている。

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温かいものと冷たいそばがあるそうだが時期的にはやはり冷たいそばを頼んだ。正之公が好んで食べていた頃は一本ねぎで食べる習慣はなく、調べてみるとやはり三七のそばを辛味大根である高遠大根のおろし汁に焼き味噌を溶かした汁で食べたようである。この三七のそばを高遠そばと称するのが正解らしい。そばが出てくる間にそば茶と漬物が出されてパリパリと頂くことにした。

ご主人がいろいろと聞いてくるので話していると筆者も自然と会津訛りになってしまった。そのうちそばが出てきたので頂くことにした。ねぎは箸の代わりにして食べるので湾曲したねぎでわざとこのように栽培しているらしい。

食べる際にねぎは薬味として食べながらそばを引っかけて口元まで器を引きつけて食べるものと知ってしたので少し思ったより簡単に順応できた。蕨、なめこがのった山菜ぶっかけそばでねぎも辛味が少ない種類のもので食べやすくなっているがペース配分を誤るとねぎが短くなってそばを食べきれなくなってしまう。かじった部分のねぎにそばを引っ掛けると上手く食べられるので是非お試しあれ。

一番の目的を果たしたので今日はこれで終わりの気分になったが、時間もまだ正午前なので本来なら今日は国道118号線を羽鳥湖方面に向かい、国道294号線に左折して猪苗代湖の湖南より背炙り峠を越えて会津市内で昼食を考えていたが、すべてキャンセルしてしまうのは忍びないのでこの先にある大内ダムから会津本郷に抜ける県道131号線は走りやすくて良い道だよと大和屋のご主人から聞いていたので国道121号線には戻らず、真っ直ぐ進むことにした。

なるほど道も新しく整備されており大変走り易い、芦の牧温泉は通らすに会津若松市内に入った。ここから先は筆者の準地元であるので地図不用である。筆者が故郷の味として忘れられない物が幾つかあるがその中でも代表的なものが強清水の“もろはくや”の薄皮饅頭の天ぷら、ニシンの天ぷら(一般的には元祖清水屋が有名であるが)と奴郎が前という場所にある“お秀茶屋”の田楽を食べに行くことにした。

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江戸時代から続いているらしい地元では有名な店で仲間と会津にくる機会があると必ず誘って立ち寄る場所で母親の実家がすぐそばにあり、子供の頃に従兄弟たちと食べた思い出深いものであり、子供の頃は贅沢品であった。

ニシン、餅、里芋、厚揚げ豆腐を竹串に刺して甘辛の味噌を塗って炭火で焼いた郷土料理でおやつ感覚の食べ物で一人前(ひと皿)が6本¥700.のセットが一般的である。なかなかバラでは注文しづらいものだが昼食後間もなかったので申し訳ないが一人前のセット1つだけ注文することにした。これもまた地元でのご愛敬と思いさっさと食べて店を出たら食べた餅の粘り気で差し歯である前歯が外れてしまったのには驚いた。目と鼻の先にある母方の実家に立ち寄って子供のころお世話になった叔父、叔母に線香の一本でもあげていかないのは毎度ながら気が引けるが仲間連れであるので遠慮しておくことにしよう。



今回は特に会津市内を観光する予定はなく、少々早めになるが距離を考えて尾瀬檜枝岐温泉の民宿に向かうことにした。鶴ヶ城を通り過ぎて国道401号線に入り会津高田町から博士峠を越えて昭和町へと続く道は延々と数十KMに渡り信号もなく快適な走行ができる筆者好みの一般道だ。

今回は特に会津市内を観光する予定はなく、少々早めになるが距離を考えて尾瀬檜枝岐温泉の民宿に向かうことにした。鶴ヶ城を通り過ぎて国道峠では多少道幅が狭いところがあるので対向車の出現には要注意だが、南会津方面のお勧めコースである。国道400号線と交差した南側の鳥居峠を下ると国道289号線への分岐である南郷村の界(さかい)で後続の到着を待ってから本来は左折して檜枝岐方面に向かうところ、“200M先にコンビニあり”と手書きされた立て看板が目に入ったので逆方向ではあるが水分休憩を取るため寄ってみることにした。

日常雑貨、食料品を扱った田舎の個人商店なのだが駐車場の一角にずらりと並んだ自販機はすべて¥80.から¥120.で良心的な価格設定であった。福島県民の人の良さと言うかこの商店のご主人の大らかさが何故か有り難く嬉しい。宿についてから飲む分としてペットボトルのジュースとコーヒーを温くなってしまうことは分かっていても余分に買ってしまった。

この先は国道401号線の終点からそのまま国道352号線へ直進し、あと30KM前後である。
一時間もしない内に宿まで到着できそうだ。この辺は筆者も走ったことのない道で新鮮な
風景である。南郷村は甘いトマト(南郷トマト)栽培で有名になったが筆者は未だ食べた事がない。

時間が許せばその場でもぎたてを食べてみたかった。今回は残念ながら見送ってしまったがこの山間地方の朝夕の寒暖さと阿賀川の水が育み、その糖度に反映されるらしく、結構人気があうそうだ。例によって先ほどの休憩後からは春日氏のカーナビに宿の電話番号を入力してもらい、先導を依頼した。快調に進んで檜枝岐温泉郷に到着したが今回はすんなりと宿の前まで連れて行ってはくれず、迷走してしまった。

何とか本日の宿である“民宿 あづま”に辿り着いた。早速露天風呂へ入ろうとしたがこの宿の中には檜風呂があるが3人位でいっぱいになってしまう内風呂だった。ここも民宿ではあるが温泉を引いており泉質は単純アルカリ泉で檜の香りがとても良いが近くに日帰り温泉(公衆浴場)である“燧の湯”(ひうちのゆ)があり、ここの宿泊客には少し手前にあった同じ公衆浴場の“駒の湯”との共通利用券で入浴することが可能であるが6人分の券しか用意がなく、交替で入浴に行かねばならないそうで到着時に案内された時点では既に先客に使用されていていた。

夕食が18時頃一斉に始まるのでそのチャンスを逃すまいということで食堂に向かう際にカウンター横の箱の中に共同利用券が戻されていることを確認し、すかさず5人分を先にゲットして食堂に入った。

夕食は地物を使った田舎料理で山菜の天ぷら、お浸し、岩魚の塩焼き、鴨と舞茸の陶板焼き、それに舞茸ごはんがとても美味しかった。

普通に白米も用意されていたが、メンバー達からも舞茸ごはんが好評のようだった。おかずの品数も多く、同じ南会津地方でも檜枝岐村は山深い豪雪地方であるためか海魚などの刺身などの付け合わせは一切なく、山の恵みをふんだんにもてなしてくれて大変満足できる夕食であった。



夕食後は早速宿から徒歩2分の公衆浴場“燧の湯”(ひうちのゆ)へ向かった。ここは単純硫黄泉の露天風呂を備えた源泉掛け流しの日帰り温泉で6時から21時までの営業で通常料金は¥600.となっており、民宿の宿泊者とともに村人の憩いの場所としても人気があるそうだ。

夕食後は早速宿から徒歩となっており、民宿の宿泊者とともに村人の憩いの場所としても人気があるそうだ。ゆっくりと大きな露天風呂に浸かって疲れを癒しながら上を見上げると満天の星空であった。このあと一度宿に戻って利用券を返却してこの先の小学校で行われているという盆踊りを見に行くことにした。宿の下駄が歩いて行くうちに足に擦れていよいよ痛くなってきたころようやく櫓が見えてきた。

もともと小学校の校庭で行っているというので夜店が出ているとは思えなかったがやはり地元の青年団が主催しているものであくまで健全な伝統芸能の継承といった感じであった。団扇を配布していたので頂いて見よう見まねで踊ってみたがやはり筆者が子供の頃、従兄弟たちと毎日通った沢山の夜店と浴衣姿の宿泊客でごった返す東山温泉の盆踊りの印象が今でも強烈で何か物足りなさがあった。
宿に帰る途中の道路脇に六地蔵があったがこれは昔この地方が山間の豪雪地帯で凶作や冷害で飢餓者を出した年は働ける者だけが生き残るため、生まれたばかりの乳児を間引きするという貧困特有の悲しい歴史がこの地方にもあり、その霊を弔い、母親の嘆きを慰めるために今から260年前に安置されたものらしく、六体並んできれいにお揃いの着物で着飾り、首からお守りをさげたお地蔵さんである。

今では子宝、安産、子育て守護として参拝する物も多く、何人かの参拝者と沢山のお供えものがあった。また宿に持ち帰るロックアイスとジュース類を土産物屋で購入していると奉納歌舞伎のノボリが幾つか目についた。この地方には伝統的芸能として愛宕神社と鎮守神社への奉納歌舞伎がそれぞれ5月と8月に行われ、260年続く村人歌舞伎である。

檜枝岐も平家の落人伝説があり、翌月向かう湯西川温泉も平家の落人伝説で有名でやはり奉納歌舞伎が行われているが密接な関連があるのであろうか?今年は2日後の8月18日にこの奥にある鎮守神社で奉納歌舞伎が行われるそうだが一度は観てみたいと思っていたので非常に残念である。
 


宿に戻るとすっかり湯ざめしてしまったので内湯の檜風呂に入ろうかと思ったが二次会が始まり、少々アルコールを飲んでしまったので諦めて横になって歓談しているうちに寝てしまった。

 

宿に戻るとすっかり湯ざめしてしまったので内湯の檜風呂に入ろうかと思ったが二次会が始まり、少々アルコールを飲んでしまったので諦めて横になって歓談しているうちに寝てしまった。


走行距離147
KM

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