YEC TOURING REPORT 湯野上温泉、会津若松

2016年12月25日

YEC TOURING REPORT

日時 :   2012年 5月 6(土)、7(日)

目的地:   湯野上温泉ツーリング(温泉民宿 舘乃湯 1泊)

参加者:   杉本、山中、齋藤、西村、春日、

集合場所:  ショップ前 7:00

全走行距離: 533.5 KM

1日目

5月6日(晴天)

p5050002.JPG今シーズンの五月の連休は珍しく低気圧の影響を受けて雨に祟られた。前半の予報では後半の週末は何とか切り抜けられそうな期待もあったが、天気予報は当てにはならないし、気象の変化により予測のつかない事象が起きても天気予報のせいにはできないので筆者は過信しないことにしている。習慣で朝5時に目が覚めると前日まで断続的に降り続いていた雨は幸運にも降っていなかった。やはりスタートから雨降りだとテンションは上がらないので宿泊ツーリングは当日中止にできない弱みもあり、朝一番からの雨降りだけは勘弁してほしいものだ!

p5050003.JPG 今回は先日の人事異動で仙台に転勤になった西村氏がちょうど車検切れになるBMW R1200GSをショップに預けておいてこちらで車検を通し、今回は前日に高速バスで上京し、ショップ近くのホテルに前泊していたので集合はまったく問題なく、出発予定時間よりも前にショップ前を出発した。ここ数年このように予定時間より前に出発した記憶がない。(笑)西村氏は2日目の朝に会津よりその足で赴任先の仙台へ向かう予定とのこと!

p5050005.JPG 連休最終日前日の東北道の下り方面は渋滞もないのでやはり快調である。途中2か所のSAで休憩を取り、そこでIC出口で混雑情報を確認した白河ICは回避して、今回は全員ETC装着車であったのでその一つ先の白河中央スマートIC(ここは2009年8月に供用開始され、通常のSAやPAに隣接しているものではなく、社会実験を経由せずにその設置が恒久化されることになった本線直結型のスマートとしては全国で2番目、また両方向へ流入、流出できるものとしては全国初のスマートICであるそうだ。)から国道4号線を経由せずに会津方面に向かう国道294号線にショートカットできるので筆者にとっては大変便利である。その恩恵で数キロ先にある道の駅“季の里天栄”で十分休憩を取ることができた。

筆者は以前より好んでこの国道294号線を利用しているが、白河より猪苗代湖南岸の湖南町から左に折れて北岸の国道49号線に繋がる道なのだが、ほとんどが田園風景の中を小高い山並みを抜けながら走る道で交通量が少なく信号機も数える程しかないため、とても快適で走りやすい。途中には山頂から麓までの区画ごとに植林した種類の違いからなのか春には新緑の若葉が微妙に違う色合いでグラデーションをとなり、また秋には違う色の紅葉となって、常緑樹とのコントラストでまるでパラソルのような小さな山の周囲を見ながら走るのが好きだ。湊地区からは会津若松市内に向かう県道374号線が整備されており、背炙山(せあぶりやま)を越えて東山温泉街及び市内へショートカットすることができる。その背炙山を挟んで両側に筆者の両親の実家があり、筆者も会津生まれで東京育ちのため幼少期より同じ会津でも文化や方言、それに風習の違いを身近で見てきているので両者は近いようで遠い場所であると感じてしまうが、どちらも父祖伝来の土地で両親が生まれ育った場所なので見覚えのない風景でもどこか懐かしく感じてしまう。

背炙山は標高が863Mとそれほど高い山でもないが、さすがに山頂に近づくにつれて気温は下がり、夏仕様のウエアーでは肌寒くて耐え難い状況になってきたようだ。幸い筆者は最近の気候から今回は夏仕様にはしなかったので何とかここまでは耐えられた。確かこの辺りには筆者が小中学生の頃、東山温泉街の山麓駅から山頂駅のある関白平までロープウエイがあり、スキー場があったはずだ。そこで従兄から初めてスキー教えてもらった記憶がある。シングルリフトが2基だけの小さなスキー場だった。最近思い出して懐かしくなって調べてみたらこの県道374号の整備により30年程度稼働して会津市民に愛された正式名称は“背炙山空中ケーブル“と呼ばれて当時は欧州風でかなり珍しい乗り物で観光化に役立ったが、昭和60年に廃止になったようだ。山頂にはかなり老朽化が進んだレストハウスとキャンプ場があり、向い側の尾根沿いにはテレビ局の電波塔が何台か設置されている。

しばしの休憩と防寒を施して背炙峠を東山温泉街へと下ると少々遅めに咲いた山桜の花びらと花びらの外側のがくが路面に散って、折からの雨に濡れて水分を含み大変滑りやすくなり恐ろしい状況であった。因みにこの県道374号線は冬季間閉鎖され通行止めになる。

やがて東山温泉街の入口にある代表的なホテルである“御宿 東鳳”正面玄関前までくると峠の終着点である。この宿の裏手には母方の実家の墓があり、祖父母が祭られているが、毎回素通りしてしまうことに心苦しさを感じながら心の中で合掌し東山街道を下って千石町にある今回の目的地であるソースカツ丼を食べるために“めでたいや”を目指すが、持参したガイドブックには地図が掲載されていなかったので住所の千石町という町名情報を頼りに筆者が先陣を切って向かったが、結局はカーナビに先導してもらうことになった。おかげですんなりと店に辿り着いたが、各誌に掲載される人気店だけあってか、昼時が終わりに近いのにまだかなり時間待ちとなっており、聞けば一時間以上は待たされることが判明。近隣には大型バイク5台を駐車するスペースもなさそうな現状ではあえなく諦めて他店へ向かうことにした。筆者は事前調査でお目当ての店が混雑していた場合に2番手、3番手を控えておいたコピーをどうやら自宅に忘れてきたらしく、屋号、電話番号、住所とも不明でカーナビに頼ることもできないので、JR西若松駅が最寄り駅というかすかな記憶だけで探すべく、皆を待機させて筆者単独で付近を走って探索してみたが、残念ながら発見することはできなかった。地図を頼りせずとも市内は走れるが、地元民ではないので飲食店の所在地までは把握しきれなかった。何事も不注意は後悔を招くので前日の準備が肝心である。

p5050010.JPG いたずらに時間が経過してしまうので待機していた場所のすぐそばにあった美由希食堂さんで昼食をとることにした。会津地方のほとんどの食堂にはソースカツ丼のノボリが掲げられており、言わば会津のB級グルメとして町おこし的な存在となり活性化を担っている面がある。観光化を促進する役割を持つ筆者としては率先して食べるべきかもしれないが、根っからのへそ曲がりというか本来地元民はソースカツ丼を好んで食べる習慣はなく、親戚一同と食べた記憶は一度もない。味はキャベツの上に普通のソース味のカツを乗せた丼なので推して知るべし。筆者も当初の目的の店に自分が皆を連れて行けなかった以上は美由希食堂さんには申し訳ないが、妥協して入った店の代用品を食べる訳にはいかない。結局は子供の頃からよく出前してもらって食べていた太めのちじれ麺でできている喜多方ラーメン風の定番醤油ラーメンを久々に食べることにした。

店によって特徴は当然違うらしいが、会津大学の学食や昔からある普通の食堂で扱っているので他のメニューも豊富でラーメン、そば、うどんと何でもある。実際その店内では観光客風の人はソースカツ丼を注文しているが、ご近所の爺さまや婆さまの客はみな醤油ラーメンを注文して食べていた。(笑)

各自空腹を満たした後は時間もまだ余裕があったので市内観光をしようと思い、市内で一番の繁華街である神明通りまで行ってみたが目的の店はその一本裏手にあり、野口英世青春館のそばにあるのだが、一方通行の通りは連休だからなのか車両通行止めにしてイベントをしており、店前まで行くこともできなかった。また近くにバイクを止めて歩いていくには安心して駐車できる場所もなかったのであっさり諦めることにした。旅番組でも度々取り上げられている蔵を改築して造った“珈琲館 蔵”という店内が落ち着いた雰囲気の喫茶店があるらしいので会津に帰った際に一度は立ち寄ってみたいと思っていたので少々残念だったが、また次回以降に期待したい。

天気も良いので久々に鶴ヶ城の天守閣より会津盆地を見渡してみようかとも思ったが、このメンバーで既に過去に上がったことがあったので今ひとつ反応も悪く、ここはスルーして国道118号線を宿泊地がある湯野上温泉方面に向かうことにした。

p5050013.JPG 会津若松の市街地を抜けるとやがてこの地方では東山温泉と並んで代表的な芦ノ牧温泉に到着した。いつもはこのコースで南下することがほとんどないので筆者も初めて温泉街を見たが、かなり各ホテルとも建屋は老朽化が進んでいるように思え、昨年の福島原発により会津地方は影響がないのに風評被害から客足が遠のいて活気がないと聞いているが、営業面でいろいろ工夫してもっと努力して集客できることがないか?観光客にアピールできるものは何かないか?何もせずに景気と旧客が回復することはありえない。地元の若者達が率先して関東のメディアに出てきてアピールをして欲しい。そういう意味では我々は度々会津地方を訪れているのでその活性化に多少は貢献しているかも?

p5050014.JPGこのまま早めに宿についてチェックインできる時間になっていたが、会津鉄道の湯野上温泉駅に立ち寄ることにした。ここは日本唯一の茅葺き駅舎になっていて中には実際煙で茅葺きを維持していくための囲炉裏があった。今年は駅舎横の立派な桜はほぼ散ってしまった後だった。駅舎前で集合写真の撮影をするとここから本日の宿である“館乃湯”さんまでは2,3分の距離でまもなく到着した。

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p5050020.JPG まだ先客はいなかったのでチェックイン後は何はともあれ浴衣に着替えて露天風呂で疲れを癒すことにした。ここ館乃湯さんは民宿なのだが夕食の食材や宿泊する部屋によってコースはあるもののGW,盆暮れ、休日前日による季節料金の設定がないことと初回に泊まった時に料金の割に食事がとても良かったことから今回で3回目のリピートになる。温泉は無色透明で無味無臭のアルカリ単純泉を54℃~60℃の源泉かけ流しなので内風呂はかなり熱くてなかなか入れないが、隣にある露天風呂はそれより温度をかなり低くし調整しているので長湯には最適で美肌や疲労回復に効用があり、24時間入浴可能なとても良いお湯だ。

p5050024.JPG 夕食はこの宿の自慢である自家菜園で採れた旬の野菜や山菜の創作田舎料理で、昔からてんぷらは揚げたての物を順番に8種類出してくれる。たらの芽、こごみのほかにモロヘイヤ、ミントなどなかなか普段では食べられないものがある。プランとしては和牛の陶板焼きと釜飯プランがあるが、値段はさほど変わらないが、筆者達は迷わず毎回釜飯プランを選択している。いつ食べても釜飯と名物の“いもまんじゅう”という料理は絶品で安定した美味しさである。最後に出される岩魚の塩焼きは炭火の遠赤外線で十分火が通っており、頭から食べられる。今宵は会津の銘酒“栄川”を岩魚でもう一杯だけ頂くことにしたが、これほど美味しい岩魚なら骨酒にしても最高だろうと思い、恋しくなったがこの宿でも出してくれるだろうか?まあ酒に強くない筆p5050025.JPG者は次回のお楽しみにして床に入った。

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走行距離 300KM

2日目

5月7日(晴天のち一時豪雨)

今朝も5時には目が覚めてしまい、窓の外を見ると既に明るくなっており天気は良さそうだ。何はともあれ手持無沙汰なので露天風呂でまったりとした時間を過ごそうと思い、風呂場に行くと先客が一人居たが、すぐに上がってしまったので心おきなく30分程度温めのお湯に浸かって疲れを癒した。最後に内湯の熱いお湯に浸かって眠気を覚まして上がることにした。

p5060031.JPG 朝食は大皿に彩よくおかずが品数豊富に並べて出される。変わったスタイルであるが、食器を減らすことで限られた食卓のスペースを有効使用でき、また宿側にとっても洗い物が少なければ洗剤も抑えられ、合理的で環境的にも良いアイデアだと感じた。広間をよく見るとボックスシートのように間仕切りとカーテンで部屋(家族)別のプライベート空間が確保できるという造りに変更になっていた。最近では屋号のサブタイトルに“田舎モダンの宿 舘乃湯”と田舎モダンと付いた理由は確かめなかったが、恐らくそれまでの大広間から都会的なライフスタイルを意識してリニューアルして、お風呂も19時から21時までは無料で部屋別時間制の貸切風呂(露天も含めた)となる今風のサービスになったことからではないか?細かいことだが、朝食の納豆は味噌汁やコーヒー等のFREEコーナーの一角に纏められて、配膳時に各食卓には出されない。もはや納豆の匂いすら苦手な筆者にとっては大変ありがたい気遣いであった。時勢に逆らわず、利用客の声を拾いながら良いところは新しい物は取り入れて、昔から良い物は変えずに継承するというご主人の主張が明確なのは共感できるし、利用客側からすればありがたい。それにしても会津のお米が美味しいので朝からつい箸が進んでしまう。

p5060034.JPG 部屋に戻りTVの天気予報を確認すると関東はやはり午後から夕方にかけて崩れるという情報を伝えていたので今回は2日目の観光はせずに雨が降る前に早目に帰路に就くことにした。精算後、舘乃湯の女将さんに玄関で集合写真を撮ってもらい、挨拶を済ませると9時前には出発することにした。

宿の前の道から阿賀川(この辺では大川とも呼ばれ、新潟県に入ると只見川を合流して阿賀野川となり栃木、福島県境の荒海山を源流に新潟市で日本海へ注ぐまで全長は210KMもある。)と会津鉄道に掛かる鉄橋を渡りきると国道121号線に合流するが、我々はこのまま日光方面へ左折し、赴任先の仙台へ向かう西村氏は会津若松方面へ右折しなければならないのでここで別れることになった。お互いにもう若くはないので身体にはくれぐれもご自愛され、食べ過ぎ、飲み過ぎには十分注意して約5年ぶりに帰り咲いた新天地でのご活躍と健闘を遠く東京より我々YECクラブ員一同でお祈りします。

本日は少々物足りない気がするが、秋の柳津も控えているので深追いして帰りがおそくなって雨に降られるよりは良いと判断したため、このまま帰路に就くことになったが無駄に北上して磐越道に向かうよりは国道121号線を南下して西那須野塩原ICから東北道へ進むことにした。ヘルメットのシールドを一杯に開けていると阿賀川の清流を遡上するように進んでいるので川面を渡る薫風を受けながらの走行はとても心地よい。5月は暑からず、寒からず、ツーリングには最適な季節なので本来は多くのクラブ員に参加してもらえると楽しくなるのだが!それぞれ仕事の関係もあるので現実はなかなか厳しい。

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p5060040.JPG 南会津町のどかな田園風景の中でも最も大きな市街地である会津田島駅周辺までくると檜枝岐方面に向かう国道289号線の分岐を左折して、今後は国道121号線の右に会津鉄道が並走して南下する。この辺は落ち着いた流れになるが、やがて峠の向こうは栃木県日光市という県境の山王峠にある道の駅“会津西街道たじま”が見えてきたのでここで休憩と昨日迷走したため、買いそびれてしまった土産物を購入するため立ち寄ることにした。

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会津地方は山に囲まれた雪国で海産物は鮮魚では食べられないため昔からタンパク源となる保存食の干物を如何に美味しく料理して食べるかの知恵に長けていた。北海道で捕れたスルメいか、鱈の干物(棒たらを砂糖、醤油、みりんなどで煮た物)、鰊の干物(身欠きニシン→二枚におろしたものを二つの身→ニシン)を大阪と北海道を行き来していた北前船で新潟より阿賀野川を経由して会津地方に運ばれていたのだ。

会津地方の代表的な郷土料理に“ニシンの山椒漬け”があるが、これは醤油に山椒と酢を加えて漬け込んだもので少々味が濃く、健康的に良い物かは疑問だが、酒の肴にもご飯のおかずにも良く合うので筆者お奨めの土産で、毎回これを数点購入している。他には一度水で戻したニシンを天ぷらにして温かいそばにトッピングして食べる“ニシンそば”も有名である。筆者は旧白河街道(国道294号線)沿いにある強清水(こわしみず)に3軒ある茶屋のうち、親父の代から必ずここでは“もろはくや 菅井商店”でニシンそばにスルメの天ぷらを追加して食べていた。また車で田舎に帰省する際にここに立ち寄り、名物のまんじゅうの天ぷらも含めてニシン、スルメなどの天ぷらをお土産用として大量に親父が買っていたのを子供の頃から見ていた。他にも主に正月やお祝いの席に出されるもので筆者は食べる機会がなったが、鱈の干物を戻して甘辛く煮た“棒たら煮”という会津地方の郷土料理もある。

山王峠を下って県境を越えるとすぐに上三依塩原温泉口付近で国道400号線に左折して塩原温泉郷を経由して西那須野塩原ICを目指して快調な流れで進んでいった。IC手前にある道の駅“湯の香 しおばら”で一般道では最後の休憩を取ってから、そのまま西那須野塩原ICに入った。

p5060049.JPG東北道に入ってから最初のSAになる上河内SAで給油することを申し合わせておいたのでスムーズな流れと思っていたが、給油後の休憩中に春日氏のGPZ900R(NINJA)のサイドスタンドが路肩の陥没によりめり込んでしまい停車中に立ちごけになって左側の前後のウインカー、カウル及びスクリーンを一部破損してしまう悲劇が起きてしまった。まったく予想外の展開に一同唖然とするしなかった。お気の毒としか言いようがなく、こんな事もあるのかという不吉な出来事であった。

このままで済みそうもない気はしていたが、宇都宮を過ぎて三車線になった辺りから前方の空の色がみるみる暗くなってきて、今にも泣き出しそうな感じになった瞬間、雨が降り始めてきた。前日からある程度は覚悟していたが雨脚は強まる一方なので路肩では大変危険なので次のPAがある都賀西方PAまで速度を落として走行した。幸いバイク用の駐輪場が空いていたのでそこに飛び込んで暫くすると、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨になり、一面水で溢れてきた。この状態が長くは続かないと想像しつつ、ここで待機していると、僅か15分程度で雨は止んで空も明るくなってきた。次の休憩場所として申し合わせておいた羽生PAまで走行すれば雨具を着る間もなく、ずぶ濡れになった全身も少しは乾くだろうと期待して再スタートした。

羽生PAで全員揃ったが、ここまで来ると濡れていたウエアーはほぼ乾いていた。浦和ICより先は各自ルートが違うのでここで流れ解散となるため、十分な休憩を取ってからお疲れ様を告げて解散した。筆者は当初浦和ICから出て側道沿いに一般道で帰る予定でいたが、時間的にまだ14時前だったのと今回は岩槻ICで東北道を降りて岩槻から草加への新たな抜け道を開拓してみようと良からぬ事を考えたのが間違いだった。国道16号線に出てから間もなくして周辺の空が急に暗転してきた。降り始めた雨は雨脚も強まってきて、雷鳴も絶え間なく続いたので雨雲が切れるまで走行は諦めてることにして、豊春駅近くの休業店の駐車場にバイクを止めて一時間近く店の軒先で雨宿りをさせてもらった。

後半は何時になったら帰れるのかという不安を抱えながら、おかげさまで十分楽しませてもらった。春日部から国道4号線を南下して2時間はロスしたと思われるが、ようやく17時頃草加に帰宅した。

走行距離 233.5KM

担当 齋藤

<後記>

筆者は高校入学後の5月に16歳になり、すぐにバイクの免許を取って親父の所有していたヤマハRD125を乗り回していた。休みに奥多摩などに行ってはコケていたのでバイクの損傷が激しくて、通勤で使用していた親父はバイトして自分で買えと乗るのを渋るようになったので、冬休みにバイトして貯めた金で上野の中古屋さんで買った初めて自分が所有したバイクが中古の‘73型ヤマハDT250だった。

当時の高校生では珍しいが、京から遠く離れた東北平泉で栄華を極めた藤原家の文化や東北地方の民話には妙に興味があって、何とかバイクで自由気ままな旅をしたくなった。ようやく実行できたのは一年後の17歳の夏休みになってしまったが、キャンプサイトを中心にテントを張りながら岩手、宮城、福島を数日かけて走ることが叶った。その当時は東北道も現在のように整備されておらず、断続的に未開通の区間が多く存在しており、実際は殆ど一般道を走って回ったと記憶している。そのような環境で路面も未舗装部分も多くてオフ車であるDT250はとても良い相棒であった。ガソリンの容量が少ないのと2ストで燃費とオイルの減りを把握しておかないと大変なことになることも勉強させられた。

“三つ子の魂百まで“と言うが、16歳でクラスメイトと始めた頃のツーリングへの関心や興味は幾つになっても旺盛で、筆者もまだまだ行ったことのない場所は山ほどあるし、これからも良いお湯、良い宿、美味しい物への探究心は枯れることはないであろう、それは身体的にもうバイクに乗れないと弱音を吐くその日まで続くのかもしれない!

以上

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